2009年9月 4日 (金)

Wii Fit

Image187 朝歩き始めて半年になる。

年とともに代謝が悪くなってるのか

同じ食生活でも太ってきてしまい。

ひざが悪いので体重が増えると負担がかかるので始めた。

平日30分、休日60分。

ただ歩くのも効率悪いと思って

1.5kgx2個のダンベルをもって歩いている。

半年で6kg落ちた。

よく続いていると思うが

WiiFitのお陰が大きいと思う。

使っているのは体重を記録する機能だけ。

体重は1日の間でも変化するし、

増えたり減ったりしながらジグザグに落ちていくので、

記録をつけていないと増えたときに失望して

嫌になってしまったと思うが、

記録すると傾向として落ちていくのがわかるので

続ける意欲が湧く。

増えた時に言い訳を記録できる機能もよい。

秋にバージョンアップしたplusが出るので

新規に買うなら待った方がいいかも。

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2009年8月26日 (水)

Are you happy?

バンコクから更新

行きの機内で矢沢永吉の

”アー・ユー・ハッピー?”を読んだ。

正直何度か泣いた。

自分のレーベルの発売で

http://www.cyzo.com/2009/08/post_2558.html

色々なメディアに積極的に出ているようで

http://d.hatena.ne.jp/tvhumazu/20090812/p1

などのサイトを読んで

いいことを言ってるなと思って本書を読んでみた。

永ちゃんて無神経なナルシストという印象が強かったけど、

読後の印象は全く違って

なんて繊細で自分に正直な人なんだと思った。

女性が読んで抵抗感がある部分も多いと思うが、

これはある面、男性の真実だと思う。

本書のなかの”音楽”という言葉を”事業”に置き換えて読めば

これから起業をめざす企業家にとって

もってこいのビジネス書だと思う。

起業家は自分の事業に

これぐらい自信をもっていないとやれないと思うし、

なんか年のせいか

ナルシストに対して若いころ持っていた嫌悪感が

今は無くなってきてしまった。

人間て変わるものだ

自分も父親を乗り越えようと

ずっと走ってきて

昨年は過去最高売り上げ、最高益だった。

それもつかの間

世界金融危機に巻き込まれ

なんとかやっと乗り切り。

なんか力が抜けてしまった。

前半は海外出張も自粛し

7月は休暇をもらい家族と皆既日食を見に行った。

これから連休はなるべく家族で旅行でも行こうと思う。

家族を大切にしながら事業を楽しめたら最高だ。

ブログ更新も久しぶりだが再開しようと思う。

今後のブログはビジネス以外の話も多くなると思う。

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2008年11月27日 (木)

PET検査

今年もPET検査を受ける

どんな小さなガンも見つかるという検査

放射線を発するブドウ糖を注射する。

いくら半減期が短くて微量だといっても

体内から被爆するわけだから

体に良いわけないと思う。

ただ、今死ぬわけにはいかないので

受けなければと思ってる。

20年後これが原因でガンになっても

まあそれはそれでしょうがない。

去年まで受けていた西台クリニックが倒産したため

今年は日本医科大で受ける。

検査センターは新しくきれいだった。

PETとCTが同時に取れるPET/CTと

脳MRI・血液検査がセットで15万円。

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2008年5月19日 (月)

意味を見つける旅

もし人生が意味を見つける旅だとしたら

それは複雑に隠されたパズルを解くようなものだ

若いうちはその答えを解ったつもりでいたのが全然間違いだったり

一生かけてすこしずつヒントを発見していく旅だ

色々な経験をしながら内なる自分を見つけていく

その過程は決して楽しいばかりではないけど

でもその意味を見つけたときは

ああやっぱりそうなんだと心から納得して

だんだんと生きるのが楽になっていく気がする

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2007年6月13日 (水)

叱ると..

佐賀工場へ

ISO9001の認証を受けたというのに

ラベルの貼り間違いというミスが発生した。

しかも去年1度発生して、

是正処置をしたにもかかわらずである。

セクションリーダーを集めて叱る。

ラベルの色を品種によって全部変えるという、

抜本的な対策を取る事にした。

感情にまかせて怒っているつもりもないんだけど、

やっぱり怒ってるとスカットして気持ちがいい。

危険だ。

あくまで自分は役割として社長をやっているだけであって、

人間として偉いわけではない。

そこのところは間違えないようにしないと、

危険なワナがあると思った。

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2007年6月 6日 (水)

やっぱりアジアの純真

瞑想する。そして散歩する。

自分の今の立場を全部捨て去って、

自分に問う。

”お前は何をやりたいんだ”と

うかびあがってきたことは

”アジアのために何かをしたい”ということだった。

そうだった。

思い起こせば初めてインドネシアに行って思ったのも、

純粋に”アジアでビジネスをしたい”ということだけで、

そこで儲けようとは全く思わなかったはずだ。

危ない、危ない、原点を忘れるところだった。

会社経営で利益を追求するあまり、

大事なところを忘れるところだった。

”アジアのために何かをする”と自分の腹に落とすと、

ストンとはまって、腹から力で出てきた。

これからは商売にとらわれず、

もう少し広く、

”アジアのためにできること”をやっていこう。

なんか吹っ切れた感じだ。

大丈夫、もうブレない。

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2007年6月 5日 (火)

人生の転機

自分が変われるほどの人生の転機は三つあると、

父親が死んだ当時、

年配の女性の社員が教えてくれた。

親が死んだ時

結婚する時

子供が生まれた時

自己は他者との関係性で成り立っているので、

上記の場合に自我が再構築されるのだろう。

自分も昨年に会社が最高売上を達して、

母親が亡くなり、

人生の転機を迎えているのかもしれない。

自分が変わった結果、

会社経営がプライオリティで無くなってしまったら、

どうなるのだろう。

それはそれでしょうがないのかもしれない、

岡本太郎は言う、それが”人間を生きること”だと。

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2007年6月 4日 (月)

自分の中に毒を持て

岡本太郎氏の

自分の中に毒を持て―

あなたは“常識人間”を捨てられるかを読んだ

太郎氏はこの本の中で繰り返し、

一貫してこう書いている。

常にその一瞬一瞬、自分と闘い続け、

過去の自分の築いたもの(財産・地位・名誉・自我)に執着せず、

常に新しい自分であれば、

歓喜につつまれたエネルギーを得られる。

実に厳しい生き方だ。

自分なんて物は実は存在しなので、

そのままでは不安でしかたないから、

人間は他者や事象との関係性に自我を構築して、

なんとか安住している。

しかし太郎氏はその安住を許さず、

常に自分と闘い、自己を殺し続けて生きろという.....

もし、それが出来れば

自己を超えた存在と繋がって(命がひらく)

すごいエネルギーが出るのだろうか?

自己を殺すことは怖い、

いままでの自分を全否定することにもなりかねないから。

崖から飛び降りるようなものだ。

肉体の死より怖いかもしれない。

でも、もしかしたらちゃんと、

有るべき場所に着地できるのかもしれない。

芸術は爆発だ!―岡本太郎痛快語録

も同時に読んだが

岡本敏子氏がまとめた伝記のようなもので

太郎氏の本質には迫れなかった。

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2007年6月 1日 (金)

自殺が多いけど

なんか自殺する人が多い。

それも大臣みたいな、

社会的に影響力がある人が自殺したりするから、

人の心に与える影響は大きいと思う。

日本人は切腹してケジメをつけるとかの文化がなまじあるから、

自殺が美化されてしまっている部分もあると思う。

危険だ。

確かに自殺するまで追い詰められた気持ちは、

切実で慮るものがある。

でもあえて”自殺は逃避にしか過ぎない”と言いたい。

そうでないと自殺しようとする子供に何が言えるのか?

自殺に限らず、人生逃げていいことは何もない、

結局問題の先送りだ(来世に)。

謝って大臣を辞職すれば良かったのではないか、

色々なものを失っても、自分の心は失わないでしょう。

本当に取り返しのつかないことって意外に少ないんじゃないのかな?

殺人はもちろんだけど、

人の心を傷つけることぐらいかな、取り返しのつかないのは。

それでも傷つけてしまうことも多いけど。

中小企業の経営者で倒産して自殺してしまう年配の方がまだ多い。

僕は会社が倒産しても自殺しませんよ、

もちろん倒産させないように最大限の努力はするけど、

商売は運の要素も多いし、

それが分かってていて皆リスクを分け合ってるわけでしょ。

申し訳ないけどある意味商売はゲームで、

自分の心を賭けてやっているわけではないから。

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2007年5月31日 (木)

明日の神話

Image091 どうも力が出ないので、

先週の日曜

東京都現代美術館に

岡本太郎の”明日の神話”を見に行ってきた。

とにかく大きさ・スケールに圧倒される。

しかも全体としてその大きさの中でバランスがとれている。

岡本太郎はこの巨大な作品をメキシコで一人で描きあげたそうだ。

館内に流れているビデオの中で、岡本太郎は

”お金も地位も名誉もいらない、

マグマのようなエネルギーが欲しい”と叫んでいた。

何なんだろう、なぜそこまでエネルギーを欲するのか?

訳がわからない。

魂がゆさぶられた。

会場で岡本太郎の本を2冊買って帰る。

そのエネルギーの源泉に少しでも近づければと思う。

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2007年5月30日 (水)

脳ドック

母の四十九日も終わり、落ち着いてきたものの、

海外に出張する力も出ないでいたので、

この機会に以前から受けようと思っていた、

脳ドック(脳MRI・MRAと頚部MRA)を受けてきた。

組合の補助があり自己負担¥21,500。

というのも昨年当社の部長が、

社員旅行先で、くも膜下出血で倒れて、

手術で命は取り留めたものの、

まだ職場復帰できていない。

くも膜下出血は脳内の血管に、

先天的に血瘤がある人に起こる病気で

血瘤が無い場合は一生発症しない。

検査は30分ほどで、すぐ結果を教えてくれる。

検査の結果,自分には血瘤は無いとのこと、

また脳梗塞・脳腫瘍の発症も無いということで、一安心する。

ただ脳の病気になりやすい因子

高血圧・高脂血症・喫煙・糖尿がある人は

定期的に検査をしたほうがいいとのこと。

自分は中性脂肪が引っかかってる。

PET・CT・MIR検査(首から下)と胃カメラは毎年やってるが

脳ドックも3年に1回くらいは受けようかと思う。

会社も今自分が死ぬわけにはいかないので。

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2007年3月30日 (金)

訳のわからない情熱が世界をドライブさせている

なんでこの人はこんなことに

こんなに情熱を持っているんだろう?

理解できない訳のわからない情熱に

気持ちが揺さぶられてしまいます。

もしかしたらそれは私の知らない世界で

私の知らないすばらしいことがあって

凄いことなのではないのかと思ってしまうからです。

逆に理解可能なことは

その人がいかに情熱を持ってやっていても

あまり影響を受けません。

ああこれはお金が儲かるのが楽しくてやっているんだな。

ああこれは威張れるのが気持ちよくてやっているんんだな。

などと理解できてしまうと。

とりあえず自分はこれはやらなくていいかなと思ってしまいます。

本当に人にショックを与え

人を動かし世界を動かすことが出来るのは

訳のわからない情熱だけなのかもしれません。

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2006年10月 4日 (水)

美しかった国、日本

Image016_1 

バンコクから更新

クーデター後のバンコク市内は

まったく平穏で経済活動も普通に行われている。

今回移動でバンコク市内の電車(BTS・MRT)に乗ったが

車中でお年寄りや妊婦や子供に席を譲る光景が頻繁に見られた。

それもすかさず誰かが席を譲るという感じで

自然なモラルとして定着している。

こうゆうの昔の日本ではよくあったけど

最近は少なくなったなと思った。

今の日本では共通に守られているモラルは

”人に迷惑をかけない”という1点だけであって

積極的に困っている人を助けようというのは

無くなってしまったように思う。

むしろ困っている人に積極的に介入するのは

トラブルの元だからやめたほうが良い

というような空気まであるような気がする。

もちろんそうした生き方の方が楽なんで

そちらのほうが自然に近い生き方とも言えるんだけど、

社会生活をしていくには助け合う部分や

弱者を守っていかなければ成り立たない部分があるから

宗教や道徳でモラルを規定しているんだと思う。

日本は戦後そうした相互扶助を捨て

効率重視の個人主義を形だけ輸入したから

(あちらの個人主義はすべてキリストが最終的にバランスをとってくれるんで)

今、積極的に困っている人を助けようというモラルは

無くなってしまったようにに思う。

これは子供の教育でどうなるものでもなく

大人(社会)が受け入れていないモラルを

子供に教育したからといって

それは絶対に定着しないでしょう。

本当に美しい国を作りたければ

今の美しくない状況に危機感を持って

新しい社会のモラル作りをしなければならない

大変な作業なんだけど

宗教さえも捨ててしまった日本人に

”積極的に困っている人を助けよう”というモラルを復活させるのは

至難の業でしょうな。

PS.こちらの交通マナーは最悪ですがね

Image017

スワンナプーム新空港

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2006年5月21日 (日)

だんだん変わる

だんだん変わる

人間はだんだん変わる

自分と違うものに触れると変わる

ホントは変わりたくないし

変わるのは怖いけど

自分と違うものに出会うと

自ずから変わってしまう

日本人も変わる

日本人の良いとこもイヤなとこもあるけれど

海外と触れることによって

自ずから変わってしまう

どう変わっていくのはわからない

それはコントロールはできないから

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2006年4月 8日 (土)

無意識で考える

私は物事を決める時に

ほとんど直感で決めることが多い

決めたあとでデータで確認している。

しかし直感がひらめかないで決められない時の決め方は

こんな感じで決定している。

:その場では決めずに決定を先延ばしにする

:よくよく考える

:時々考える

:一旦忘れる

:散歩していたり、ぼんやりしている時ふと解決する

発明家の発想法と同じ方法

人間の無意識というのは意識下よりも

よっぽど聡明で賢明である。

意識下の判断はデータや雰囲気に左右されるが

無意識は脳の膨大な経験情報を無意識下で

つなぎ合わせて判断してくれるので

意識してなかった意外な解決法が思いつく場合がある。

そしてそうして思いついた解決法は

それ以外には答えがないと思うくらい

その判断に確信がもてる場合が多い。

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2006年2月 4日 (土)

決算

12月決算なので

今は決算のまとめをする忙しい時期

やるべきことが山のようにあって

どれから手をつけて良いかわからなくて

遅々として進まない

時間ばかり過ぎていく中で

やることが追加され増えていく

あれもやらなきゃ

これもやらなきゃ

と思っているうちに

優先順位がつかずパニックになる

そうだこんなときの解決法は

まず何でも良いからとりあえず始めるということだ

たまった伝票のハンコ押しでもよい

もうこの際メクラ判でも良いのだ

ハンコ押しという動作に集中する

1つの仕事が形なりにも終わると

ハンコ押しでさえ達成感がわいてペースが生まれる

このスキにつぎの簡単な仕事をヤルノダ

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1月22日社員結婚式

バンコクから帰り翌日佐賀へ

雪で高速が閉鎖にならないかと

心配したが無事に佐賀到着

挨拶を頼まれていたので

一応主賓の挨拶

もう何回かやらせてもらっているので

ネタはいつもいっしょ

”家庭は愛の学校である”

新婚のころはお互いをすべて許せて

100%相手を受け入れられるものだが

結婚生活も長くなると

お互いにエゴが出て

相手に対する不満が出るものだ

そういう時この”家庭は愛の学校である”

という言葉を思い出して

一方的にどちらかが自分のエゴを押し付け

どちらかがガマンするというのでなく

これは自分たちに与えられた人生の課題なのだと思って

お互いに問題に取り組み

よく話し合いお互いを理解した上で

譲れることは譲って

解決していって欲しい

子供が生まれれば

子供から学ぶことがたくさんある

愛を学んですばらしい家庭を築いて欲しい

という内容

御目出度い結婚式にしては

夢の無い話だとも思うが

人生の先輩として

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2005年11月10日 (木)

PET検査

PET検査を1年に1回受けるようにしている。

PET検査とはガン細胞がブドウ糖を活発に吸収するのを利用して

放射性のあるブドウ糖を注射してスキャンすることにより

非常に小さい初期のガンでも発見できるという検査。

検査結果=告知となるこわい検査。

西台クリニックというところで受けているが

4年前はここぐらいしか東京ではなかった。

最近は大分普及してきているようだ。

PET・CT・MRI・超音波エコー・血液検査・尿検査が

セットで価格は17万円。

今まで人間ドックに入っていたのをやめて、

この検査とあとはプラスして定期的な胃カメラの検査をしている。

値段はドックより高いが、

今のやりかけの仕事のまま死ぬわけにはいかないので

これもしょうがないかと思っている。

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2005年8月23日 (火)

恥は地球を救う

この時期24時間テレビでおなじみの

愛は地球を救うというキャッチフレーズを耳にするけれど、

愛は本当に地球を救うんだろうか。

愛の根っこはエゴイズムだ。

だけどそれが拡大されてエゴに終わらないところが

愛のダイナミズムなわけだが、

根っこがエゴだけに、いざ自分の身に危害が加わる時には、

エゴに戻ってしまいがちだ。

最近のモラルが低下し、ナショナリズムが台頭し、

テロが頻発する社会では、

”恥”の感覚こそが世界を救う抑止力になりうるのではないかと思っている。

恥ずかしいという感情は個人が集団に向けて行動を起こす際に

現れる最初の大きなハードルであるし、

恥の感覚の基準は文化に影響され違いが生じてしまうものの

多数の感覚が支配的になる特徴がある。

つまりヌーディスト村にいけば裸でいるのも恥ずかしくないけど、

皆が水着で入っているスパに1人で裸ではいるのは恥ずかしい。

そして恥の感情には糾弾する力もあり、

恥ずかしい行為をした人に対して

皆が”恥ずかしいなこの人”と思った感情がその人に伝わり

恥ずかしくないと思っていた感情が揺らいで

その行為をした人を恥ずかしくさせることができる。

しかし気をつけないといけないのは恥の感覚には麻痺ということもあり、

恥ずかしいと最初は抵抗感があったものを、

1度飛び越えてやってしまうと

自分の行為を正当化する防御本能が働き

恥ずかしくなくなってしまうという側面がある。

最近の日本のテレビは恥ずかしくてあまり見なくなってしまった。

今の国内外の政治家を見ても恥ずかしい人がたくさんいる。

よくこんなことを言って恥ずかしくないなとあきれることが多々有る。

愛国無罪のようなナショナリズムの愛は恥ずかしいと思うし。

今の豊かな日本で自国の国益を最優先するというのもなんか恥ずかしい。

日本には江戸時代には武士道があり

武士は食わねど高楊枝に代表されるような

恥をきらう文化があったはずだ。

ただそれが”美”という自己愛に流れがちなのは要注意だ、

自爆テロも彼らなりの美なんだろうが

美というのは今や自分的にはうさんくさくて恥ずかしい。

(もちろん本当の美はあるとおもいますが、

まがいものが多いと言うことです。)

恥ずかしいと思ったときその感情を大事にしよう。

恥ずかしいけどやってしまおうと思ったときはよく考えよう。

そして恥ずかしいことをしている人には

じっと恥ずかしい光線をあびせよう。

それが世界を救う第一歩になるかもしれない。

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2005年7月20日 (水)

心のハードル

電車内での些細ないざこざが殺人に発展したり
学校内で殺傷事件がおきたり
弱者(女性、子供)に対する無差別殺人など
今まで日本で起こらなかったような事件が起きている

このような事件を防ぐために
法律を厳しくするとか
警備を厳しくするとかで対応しているんだろうが
それで防げることには限界があると思う

人間の心の深層には誰にも
時や場所を選ばない攻撃性や
弱者に対する無差別な攻撃性の
衝動が潜んでいるわけで
それはふだん自我やモラルや道徳などの
ハードルに封じこめられていて
なかなか飛び超えられないようになっているのだけれど
しかし最近の事件のように
心のハードルが低くなってしまう現象には
どう対応したらいいのだろうか

風紀が乱れた時
歴史的には宗教を用いるというのが常套手段だ
毎日行う行動(儀式)によって
人間の感情は作られるからだ
ただ今の日本で宗教を強制するというのは
まず不可能だと思う

でも昔の日本にはあたかも宗教のように
皆に信じられていた価値観というものが
あったように思う

悪いことするといつかばちが当たるとか
うそをつくと閻魔様に舌を抜かれるとか
良いことをすればおてんとう様は見守っているとか
働かざるもの食うべからずとか

それが表面的に個人主義を輸入して
合理主義をめざしたものだから
今やみんな無くなってしまった

モラルというものが難しいのは
自分一人で守っていくのは非常に大変であって
皆が共同して守ろうと努力するから守られるもので
少数でも破る人がいると
守らない方にに引きずられてしまう

本当に皆が安全な社会を暮らしたいと思うのであれば
自由やプライバシーを
ある程度は犠牲にしても
これだけは日本人として守ろうというモラルを
大多数のコンセンサスを得た上で
実践していくことが必要だと思うが
それを決定して実際に運用していくのは
なかなか難しい
人間せっぱつまらないと
一度手に入れた自由やプライバシーを
犠牲にはしないからだ

ただどんな環境におかれても
心のハードルの高い子供を育てることは
可能ではないだろうか

まず幼少期に愛をいっぱい受けて育つこと
そして少年期に統一感をもった道徳教育をすること
その道徳教育は言ってしまえば何でも良いのだが
ただ自分がその価値を信じていないことは
いくら口先で言っても子供には伝わらないものだ
自分自身が信じていて実践していることを
子供に伝えてあげよう
それはに科学的根拠など不要なのだ
それがその家の宗教になるわけだから

昔おじいちゃんおばあちゃんから言われて
自分の心に残っていること
思い出してみよう

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2005年7月11日 (月)

少年少女による殺傷事件

最近少年少女による殺傷事件が多い
なんだかやるせない

こうした少年少女を病気だとか特別だとか
自分とは関係ない世界だと切り離してしまう人は
自分のことを良く分かっていない人だと思う
誰の心の中にもこうした原初的な攻撃性が存在していて
普段はそれを理性で押さえたり、無意識に抑圧したり
何か別の形に昇華させているだけなのだから

ふだんはおとなしい良い子でも
無理に抑制された攻撃性は突発的に暴発する
また抑圧された攻撃性が自分に向いた場合は
自殺という形を取ってしまうこともある

最近よく中国に行くけれど
中国の子供を見ていて驚くのが
小さい子供同士遊んでいるうちケンカをしても
親は止めもせずただ眺めている
このことを中国の友人に聞くと
子供は子供同士で学ぶことがあるからと言っていた

また人ごみを歩いていると
子供がよくぶつかって来る
親を見ると親は謝るどころか
ニコニコ笑っていることが多い

それが大陸のおおらかな文化なのか
長い一人っ子政策の智恵なのが分からないけれど
子供は未熟だからケンカしたり人に迷惑かけても
しょうがないという共通認識があるようで
見ていて中国の子供は非常にのびのびとしている

それに引き換え日本の子供は
幼児が公園で遊ぶ時でも自分の親の監視の目が常にあって
少しでもじゃれあって人の子に手を上げようものなら
○○ちゃんダメ!と声がかかる
幼児はなぜ怒られたかわからず
自分の感情を押さえ込んでしまうのではないか

日本も一人っ子が多くなってきている
兄弟ゲンカをすることが出来ない子供が多いということだ
もっと意識的に子供の攻撃性や感情や衝動を
開放してあげるということが
親として必要になってきていると思う

幼少のドロンコ遊びや水遊び
程度の問題はあるとして戦いゴッコやイタズラ遊び
少年期の武道やスポーツなどは
子供に英語を習わせるよりは
よっぽど大事だと思う

あるいは一人っ子の親同士ケンカは容認しようと取り決めて
幼児のころから一緒に遊ばせることも有効だと思う
危険な場合のみ注意して多少のケガはお互い様にして
幼児のころからケンカしてれば加減がわかり
大きな事故には至らないと思うのだけど
実際は我が子かわいさで難しいのだろうか

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2005年7月 8日 (金)

コドモとオトナ

ニートと呼ばれる働かない若者が急増しているらしい
かっての自分がそうだったように
やっぱりみんな本当はオトナになりたくないんだなと思う

日本にも昔は元服というものがあったし
こんなに大学への進学率が高くない時代は
成人式というのもそれなりに実感があったのかもしれない

オトナへの通過儀礼を設けてある社会は多い
それだけ必要がなければコドモのままで居たいのが
人間の本音なんだと思う

コドモは責任が無いし
楽しければいいのだ
自分の好きなことだけをやっていればいいし
問題が起こればオトナのせいにすればいいのだ

日本では20代はまだまだコドモだし
30代でも十分コドモだ
40代でもコドモっぽい人もいるし
いや極論すれば
今の日本は一生コドモのままで生きられる
コドモ社会なのかもしれない

国家の大事なことは
米国(父親)が決めてくれるし
有事の際は助けてくれる(ことになっている)
組織は母親のようにかばってくれるし
老後はケアマネがやさしく介護してくれる

コドモのまま生きられる社会というのも
ひとつの理想郷だと思うし
今世界で評価されてきている
日本のアニメやマンガやゲームも
そうしたコドモ文化の土壌が育んだものだと思う

オトナになるという事は
自分を社会の何かの役割にあてはめることだ
あてはめるということは不自由になるということだから
自ら進んであてはめたということにしないと耐えられない
だからオトナには目的が必要だ

今の日本は目的が希薄になってきている
西洋に追いつけ追い越せでやってきて
物質的にはほぼ達成してしまった
出生率が低下し人口が減っていき
だんだんと国がおかしくなっていく
行き詰まるような閉塞感だ

今日本のマスコミの注目を集めるITベンチャー企業は
買収だ企業価値だとマネーゲームをやっているけれど
お金を儲けるのは目先の目標にはなるだろうが
最終的な目的にはならないと思う
お金を使って楽しむのはコドモの領域なので
だからホリエモンが宇宙旅行って言っているのは
良く理解できる
コドモの発想ですな

日本ではオトナは住みにくくなってきてしまった

コドモのままで楽しさを追求するというのも実は大変で
楽しさを常に追求するというのは非常にエネルギーがいるし
楽しさはエスカレートして刹那的になっていく危険性がある

コドモのままでいたいという欲求がある一方
オトナになりたいという根源的な欲求も人間には存在すると思う
オトナになりたい日本の若者に言いたい
親に借金しても、サラ金に借りてでもいいからアジアにでよう
アジアには20代でもちゃんとしたオトナがたくさんいる
彼らと語るにはコドモのままでは何のコトバも無いことを知るだろう
危険地域に行くことは無い
わざわざ危険地域に行って
自分のアイデンティティを確認するなんてことは
自意識過剰なコドモの行動だ

成長著しいアジアの大都会に行って
アジアの息吹を感じよう
なにかオトナになる目的がみつかるかもしれないから

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