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2005年6月18日 (土)

インドネシアの販売会社

05-02-16_12-10 インドネシアの販売会社の責任者のD

Dとの付き合いはもう10年になる。

Dは某財団法人が

日本の企業に派遣した研修生だった。

このシステムはインドネシア人にとっては

ビジネスチャンスになっているので

私は応援しているので誤解されると困るが、

研修生とは言うものの実際の受け入れ側の

日本企業では人材不足の建築業などに

労働力として使われることがままある。

それでも派遣される研修生は優秀なインドネシアの学卒を

選んで送り込んでいるのだから

どんな環境でも勉強する人間は勉強するわけで、

Dも2年間建築現場で働きながら日本語を覚えたという。

私は当時インドネシアに製造会社を立ち上げていて

日本から派遣する技術者の通訳を探していた。

財団法人の研修正が帰国してその足で開かれる面接会場で

Dに始めて会った。

一応面接なので髪もきちんと切った子が多い中で

Dは肩まで髪をのばしていて

2年間の在日とは思えないほど日本語が上手だった。

なぜ髪をのばしているか聞くと

日本はトコヤが高いので伸ばしたが

仕事が始まればすぐ切りますと悪びれずにいった。

私はおもしろい男だなと思いその場で採用し

インドネシア人の従業員第1号になった。

製造会社は当初インドネシアの華僑と合弁ではじめたので

(その後通貨危機もあり100%買い取った)

会社のマネージメントはその華僑が担当した。

ローカルのインドネシア人と華僑の間には日本人にはわからない壁がある。

ご他聞にもれずその華僑と優秀なインドネシア人Dは仲が悪かった。

ある日Dが華僑にいろいろな嫌がらせをされるので耐えられない

会社を辞めさせてほしいと言ってきた。

私はDはかけがえのない人材だと思っていたので

将来販売会社を作るのでもう少し我慢してくれと引き止めた。

そうして日本人の技術者が帰国したあと

販売会社を作ってDを引き抜いた。

華僑のマネージャーは散々いじめていたくせに

優秀な人材を引き抜かれては困ると文句を言った。

販売会社が立ち上がるかどうかは半信半疑だった。

私も海外で販売会社を作るのは初めてだったし

Dも営業は初めての経験だった。

日系企業を回ったが半年間注文は無かった。

初めて2人で1万円の注文を取り

喜び合ったことは今でも忘れられない。

その後インドネシアの経済の復調

特にオートバイ産業の拡大に助けられ

会社はあっという間に軌道に乗った。

社員も増えDの報酬も上がった。

先日も倉庫を買いたいから

ローカルの銀行から借り入れをしたいと相談があった。

この10年間Dとはよく飲んだ。

もう100回以上は飲んでると思う。

飲めば飲むほどDは日本人ぽくなってきて

今は全く外国人と接している気がしないんだが

それは私がアジア人になってしまったのもあるのだろうか。

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